経済安全保障が強く意識されるなか、日本では昨年末に次世代半導体の量産を目指す「ラピダス」が立ち上がった。岸田文雄政権は量子や人工知能(AI)、バイオ・医療分野などでの科学技術立国の推進を成長戦略の柱に据える。日本は先端技術を核とする社会変革をどのように進めるべきか。経済安保や先端技術に詳しい経済同友会の小柴満信副代表幹事(JSR名誉会長)に日本再興の道筋を聞いた。

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     <自給率向上が必要>

    ◆…次世代半導体の量産を目指すラピダスの社外取締役に就任予定です。

     「ラピダス設立を『日本の半導体産業再興』という文脈からみていたのでは本質を見誤る。半導体は社会インフラであり、経済安全保障や国の安全・安心を確保するためエネルギーなどと同様に自給率向上の観点を持つべきだ。とくに、高度な演算能力を持つ2ナノメートル以下のロジック半導体は量子コンピューターやAI、5G(第5世代通信)などの次世代通信が普及する2025年以降のデータ駆動型社会に不可欠で、苦労してでも自給率を高めておく必要がある」

     「日本は90年代の日米半導体摩擦によって先端半導体の製造技術競争から脱落し、その後のデジタル化で世界から後れを取ってしまった。2ナノ以降の次世代半導体はデバイスの構造が『FinFET』から『ゲートオールアラウンド』に変わる転換期に当たり、技術的な変化点を迎える今が再参入の大きなチャンスだ。この流れに乗り切れなければ、失われた時代がこの先50年も続くことになりかねない」

    ◆…次世代半導体の製造技術獲得はハードルが高いのも事実です。

     「決して楽な道のりではない。間違いなく5~10年はかかるだろう。だが、ウクライナ情勢をみても、自分の身は自分で守らなくてはいけないことは明らかだ」

     「今回が過去と異なるのは、米国や欧州、台湾など有志国・地域との連携の枠組みがあることだ。ラピダス、『技術研究組合最先端半導体技術センター(LSTC)』には優秀な人材が集まっている。そうした人たちを核に技術を習得し、20年代後半に量産を目指す。われわれも社外取締役として、その活動を支援していきたい」

    ◆…量子コンピューターも世界中で開発競争が繰り広げられています。

     「量子コンピューターが古典コンピューターの性能を凌ぐ『量子優位性』を獲得するのは25年とみており、20年代後半にはデータセンターなどで量子コンピューターや先端半導体が使われるだろう。ここに低遅延性の次世代通信が組み合わさることで、大量に生成されるリアルタイムのデータがリアルタイムに処理・解析できる時代が訪れる」

     <減災や新技術にも>

     「これが世の中にどのぐらい大きなインパクトをもたらすかというと、例えば大雨による洪水などの自然災害シミュレーションを瞬時に行って減災につなげることが可能になる。クラウド上にある頭脳でロボットを操作する『ブレーンレスロボット』などの新技術も次々と生まれる。世界は今とはまったく違ったものになる」

     「25年以降はリアルタイムのデータ処理で先端半導体の需要がケタ違いに増える。ラピダスが狙うのは量子が拓くデータ駆動型社会であり、台湾積体電路製造(TSMC)や米インテル、韓国サムスン電子などとパイを争うことではない。次世代計算基盤である量子コンピューターも次世代半導体も、これから大きな社会変革を起こすのに欠かせないツールだ」

    ◆…日本はデータ駆動型社会への移行をどのように進めるべきでしょうか。

     「日本は20世紀に構築した高度な社会インフラがあるうえに、国内総生産(GDP)を国土面積で割った『面積当たりGDP』が世界有数だ。これは社会実装に必要なコストが安いことを意味する。例えば、5Gのインフラ整備には世界全体で100兆円かかるとされる。米国は30兆円、中国は20兆円が必要だが、日本は3兆円で整備できる。世界に先駆けて先端技術を社会実装することは十分に可能だ」

     「現在、日本のクラウドサービスの利用料は約2兆円で、量子コンピューターの利用料を基に計算すると30年には8兆円規模に拡大する。これは原油やLNG(液化天然ガス)の輸入額を上回る。海外企業が独占するクラウドサービスの利用料を払い続けることは国富の流出といえる。日本企業がクラウドサービスのオペレーターとして立ち上がらないといけない」

    ◆…25年以降のデータ駆動型社会が訪れると、ものづくりはどのように変わる可能性がありますか。

     「プラスチック、合成繊維などの原料の脱化石化や、完全なサーキュラーエコノミーを目指すうえで鍵を握るのが、ゲノム編集やAI、IT(情報技術)などを融合させたバイオテクノロジーを全産業に活用する『バイオエコノミー』だ。日本にも、CO2からたんぱく質などの有機物をつくる『水素菌』の技術を開発するCO2資源化研究所(東京・江東)、私も支援する植物由来原料と微生物から人工繊維をつくるスパイバー(山形県鶴岡市)のように優れたバイオテクノロジーを持つスタートアップ企業は多い」

     「量子コンピューターを利用したAI(量子AI)を使うことで、微生物の遺伝子改変などのバイオインフォマティクス(生命情報科学)や製造プロセスにいたるパラメーターの最適化が進みやすくなる。バイオテクノロジーのなかには既存の化学プラントを改造することで導入できる技術もあるはずで、それによって日本の産業構造の転換や、グリーントランスフォーメーション(GX)の促進にもつながる」

     「米ボストン・コンサルティング・グループは、量子コンピューターが生み出す経済効果の90%は(先端技術などに敏感な)アーリーアダプターが獲得すると指摘するが、正鵠を得ていると思う。量子コンピューターは驚くほど多くの技術を習得する必要があるためだ」

     <23年には分水嶺に>

     「キャッチアップのタイミングとしてまだ遅くないが、不完全な量子コンピューターと古典コンピューターを組み合わせて短時間で問題を解く『ハイブリッドコンピューティング』の開発が本格化する23年が一つの分水嶺になる。最近の研究成果をみても量子の恩恵を受けるのは化学分野の方が金融よりも先だろう」

    ◆…米中の覇権争いをどのようにみていますか。

     「米国の地政学アナリスト、ジョージ・フリードマンが語るように、世界は28~30年頃にかけて『静けさの前の嵐』という動乱の時代に入るだろう。だが、世界が次のサイクルに入れば、また新たな秩序が生まれる。歴史は繰り返し、世界は大きな潮流にはあらがえない。ロングターム(長期)の見方を持つか否かで経営の質は変わってくる。今は拙速に判断せず、戦略オプションを多く持つべきタイミングだ」(聞き手=渡邉康広編集局長、小林徹也、小谷賢吾)
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