左から松尾、三宅、山本、遠藤の各氏
<パネルディスカッション 保安力強化に向けたスマート保安の展開と課題、そして展望>
<座長>松尾英喜氏(特定非営利活動法人 保安力向上センター会長)
<パネリスト>三宅淳巳氏(横浜国立大学 大学院環境情報研究院/総合学術研究院教授)
<パネリスト>山本順三氏(出光興産株式会社 上席執行役員 製造技術管掌・製造技術部長)
<パネリスト>遠藤尚久氏(横河電機株式会社 デジタルソリューション本部 ソリューションCoEセンター長)
ケミカルマテリアルJapan2023-ONLINE-(主催・化学工業日報社、11月27日まで)では「第8回 産業安全フォーラム」が公開中。パネルディスカッションのテーマは保安力強化に向けたスマート保安の展望。座長に保安力向上センター会長の松尾英喜氏を、パネリストに横浜国立大学教授・三宅淳巳氏、出光興産・山本順三氏、横河電機・遠藤尚久氏を迎え、現状の課題からデジタルトランスフォーメーション(DX)導入による化学産業の将来像、人材育成、スマート保安推進の連携のあり方を語ってもらった。そのダイジェストを紹介する。
<広い視野での意見交換必要 松尾>
<データ活用、意思決定にも 山本>
<DX導入、課題の把握から 遠藤>
<経営層と現場の意識共有を 三宅>
松尾 産業保安を取り巻く環境は大きく変化しています。この変化に対応していくには広い視野と幅広い連携が必要で、そのためには、しっかり議論をして課題の共有化が大切です。まず保安力強化のための現状と課題を取り上げます。課題解決の第一歩はファクトファインディングです。まず一番現場に近い山本さんにお聞きします。世代交代が進む中で新たな技術導入も進んでいます。現場は大変な状況だと思います。経験と技術のバランスを取りながら融合させていくにはいろいろと課題があるのでは。
山本 環境認識として世代交代、運転員の若年化にともない装置の停止、立ち上げといった経験や機会が少なくなり、設備も高経年化が進んでいます。そういう中で石油精製・石油化学の既存事業を継続しつつ、カーボンニュートラルに向けた事業転換が求められていますが、やはり現場の保安力が最も大切ですので、それをいかに維持するかが課題です。そのためにスマート保安という視点を取り入れて、現場力の維持向上に努めています。
松尾氏
松尾 DX化ではデータ活用が重要です。そうすると経験に頼っていたオペレーションとはやり方が変わります。データ活用についての現場の課題は。
山本 現場のデータは現場で散在しており、紙データを含めて今は保全のメンバー、運転のメンバーが自ら収集しています。今後はセンサーなど新しい技術を活用しながら自動で集まる仕組みを作り上げ、さらには情報の見える化、意思決定につながるように変えていかなければと思います。
松尾 横河電機さんは日本だけではなく海外でもプラントのオペレーションの技術展開を進めています。海外の事情はどうですか。
遠藤 人材不足は海外でも課題です。ケミカルエンジニアを新規採用したくても、学生数が減っていて集まらないという話を聞きます。海外でも最新技術を扱うIT系に人気が集中しているようです。
松尾 海外ではどう対応をしていますか。
遠藤 DXを使えば何とかなるという考えで、とりあえずやってみると、うまくいかないことがあって、当社に相談があります。いくつか原因がありますが、DXに取り組む前に、お客様のなかであるべき姿やビジョン、ゴールの設定がされていなかったり、意識改革のマインドの欠如、担当している方のスキルの欠如などもあるようです。DX導入は目的ではなく、あくまでも手段です。現状、何が起きているかという課題を把握していることが大事です。
松尾 これまではベンダーなどから技術を導入して、それを利用するやり方でしたが、今後は課題をしっかりと把握して、それに合った技術を導入していくやり方になっていくでしょう。そうなるとベンダーはパートナーと連携して課題を抽出していくことが課題解決のポイントになると思います。
遠藤 お客様にはビジョンを持ちゴールを設定してもらうことを求めていますが、われわれ自身も寄り添って伴走しながら課題を洗い出したうえで、まずはお客様と共に現状把握のためのアセスメントを実施し、最終ゴールを達成するためにプライオリティをつけながら一緒に課題を解決するような姿勢で一緒に歩んでいきたいと思っています。
松尾 大きな変革の中で新たな技術を導入するためには、企業の視点だけでなく幅広い視点で物事を捉えて意見交換することが非常に重要です。三宅先生に今の産業界の課題をお聞きします。
三宅 個人としての印象をお話しします。スマート保安など新しい技術の導入では人材育成が非常に重要です。それとビジョンをきちんと設定をして、そこからバックキャストして今何をすべきかを考えていく必要があると思います。また、個社でできることと、業界全体で動かなければいけないこと、産官学として動かなければいけないことがそれぞれあるので、それらは切り分けて考える必要があると思います。産学連携については各企業のトップシークレットを提供していただいて研究することは容易ではないですが、本気度のある連携でないとお互い良い方向に進みません。そこで生まれてきた成果をみんなで共有していくことが次のステップにつながると思います。
松尾 ビジョンが話題になりましたが、保安に関するビジョンは経営層だけでは描けない、現場だけでも描けない。三宅先生は「経営層は現場に敬意を、現場は経営層に感謝を」とおっしゃっていますが、DXという技術に頼ると、経営層と現場の関係はどういうことが大切になりますか。
三宅 経営層と現場との密な関係、意識の共有というのは非常に重要で、これは会社の経営でも同じことが言えます。そして組織全体の経営で保安をどう位置づけるかという意識の共有や思いを伝え合う時間が必要だと思います。現場はストレスを抱えているのに、DX化によって仕事が増えています。これに対して納得感というか共感を持って同じ方向を向いていけるか。だから組織のビジョン、存在意義、ミッションが不可欠です。
山本氏
山本 経営陣に言ってもらっているのは、製造現場は無事故無災害が最大の経営貢献ということですね。
松尾 2番目のテーマに移ります。さまざまな新技術が導入される中、化学産業がどのように変わっていくのかという議論も必要と思っています。石油化学産業がDXでどう変化していくか、人の役割はどうあるべきでしょうか。
山本 将来の姿というのは非常に難しい質問ですね。ただ、既存事業で培った保全などの技術・ノウハウはカーボンニュートラルもしくは事業を変えていっても不可欠です。そういう意味ではDXを使って保安力をどう維持するのかがポイントでしょう。あくまで現場の人、製造現場が主役で、どうやってDXを活用するのかということですね。
松尾 協力会社やメンテナンスを担当している方々にとってのDXのあり方は。
山本 協力会社を含めて現場の工事をどう変えていくかは業界全体の課題と思っています。ただ、外面腐食の画像処理などはAIを使って効率化できますし、現場の作業の負担軽減になるでしょう。
松尾 知の統合として総合知が話題ですが、現場の知識と技術をどう絡めていくか。人が絡むので難しい面もありますが。
三宅 総合知は最近一つのキーワードになっていますが、例えばあるシステムを考える時、技術者や設計者の目線だけではなく、使う側の立場に立ってみんなで考えていかなければならないということです。スマート保安の場合、DX化によるメリット、負担の両面を考えなければいけないですし、オペレーターの心理的側面だとかライフスタイルも含めた人文科学的、社会科学的なことを含めた総合的な対応をしていく必要があるでしょう。
松尾 デジタル化が進めば、人の役割も変わっていきます。ベンダーからみて、技術と人の役割に変化はあるでしょうか。
遠藤 先ほど話した通り、人間中心を前提として、技術が人を支援するという考え方が大事になってきます。DXをベースに新技術を導入しても人や組織がついてこられないことがよくあります。新技術の導入と並行して、お客様の組織がどうあるべきか、業務プロセスをどう変更すべきか、マインドを含めた業務プログラムをチェンジオブマネジメントという形で提供しています。
松尾 経験の機会が少なくなって、オペレーターの質が変わってくるかもしれませんね。
山本 建設、定修の機会が減り、トラブルも減っている中、データ化だとか、DXを使って補完するのがこれからのポイント。過去の事例をどういう形で活用できるのか、感性や経験を補えるのか、そういう観点で物事を組み立てていくということが大切になるでしょう。
遠藤 海外ではDXによってプラント統合が進んでいます。オペレーションセンターを本社に移して、そこで集約して全部見るようになってきました。そうなると1人当たりの情報量がすごく増えます。そういったものをテクノロジーがどう補完するかをお客様と一緒に考えながらやっています。また、人工知能(AI)を活用して、最近ならチャットGPTを使って、オペレーターが聞いたことをすべて答えるようなことも可能ですが、プラントはミッションクリティカルな面がありますので、安全を最優先にしてどうあるべきかをお客様と議論して提供しています。
松尾 自動車が自動運転になって運転者がいなくなる。プラントも無人で運転はできても、保安はどうなるのか。どこまで自動化できて、人の役割は残るのかどうか。
三宅 自動車の自動運転はプラントと比較するうえで非常にいい例だと思います。レベルが上がって人間の操作をシステムが支援するところから、自動運転はどんどん先に進んでいきます。そうすると人の役割、システムの役割については議論があると思いますが、つなぎ目の所ですよね。インターフェースが大事だと思います。例えば要素技術はシステムである程度最適化されている。しかし、プラントのオペレーション全体を本社でコントロールすることになると、全体のマネジメントをどうしていくかが大事だと思います。システムの最適化が全体の最適化につながるかどうかは、人の判断や経験が非常に大事とも考えていますが、今後どのように進んでいくのか非常に興味を持っています。自動車の自動運転は参考にはなりますが、自動車とプラントはスケールが違う。トラブルがあった時の影響も違うので、少し考え方を変えなければいけないというイメージです。
松尾 大きな事故を起こさないためには、やはり人の役割は重要だと思っています。そうなるとDXが進展する中での人材育成が次のポイントになっていくでしょう。
<人材なくして保安実現なし 松尾>
<DX活動、多様なメンバーで 山本>
<顧客と一緒にトレーニング 遠藤>
<学生に現場見せる機会必要 三宅>
松尾 次のテーマは人材育成です。技術の進歩とともに人の役割も変化します。高度な技術はメリットもありますが、デメリットも生じる。これを克服するためには人材が非常に重要で、人材育成なくしてスマート保安の実現はないと言っても過言ではないでしょう。山本さんから人材育成の取り組みや課題をお願いします。
山本 DX活動の中で、われわれはいかに活用するかをポイントに置いていますので、現場の仕事を改革する観点でDXやシステムに何ができるのかという点ではシステム経験者だけでなく、実際にオペレーションをしている運転のメンバー、保全のメンバーが入ってアジャイル開発をしています。ただ、将来的にDXやシステムの限界がどこにあるのか。チャットGPTなどAIの答えが本当に正しいかどうかを見極めるのは非常に難しいと思っています。
松尾 デジタル技術を開発するためには、システムエンジニアだけでなく、現場の人材にもそういう能力を持たせるための教育が必要になるということでしょうか。
山本 デザインシンキングなどベーシックなところは研修を含めて導入しています。ただ、われわれは活用する側なので、開発はベンダーと一緒に行うことになります。
松尾 ベンダーの立場ではどうですか。
遠藤氏
遠藤 当社はベンダーとしてお客様に提供する技術や製品に注力してきましたが、お客様の人材支援とか業務プロセスを含めたパートナーになるべく、当社自身が変わっていかなければいけない。S.I.R.I(スマートインダストリー準備指標)というテクノロジーや組織や業務プロセスまで突っ込んで、どれだけDX化できるかを測るアセスメントがあり、当社ではそのコンサルタントの有資格者が多くいます。こうした人材を使い、お客様のDXに貢献しようとしています。ただ、そのような取り組みを始めると、どうやっていいか分からないお客様が大勢います。われわれがお客様の中に入って困りごとは何なのか、一緒にトレーニングしながら優先度が高い課題を見つけて課題解決に取り組んでいます。
松尾 そういう観点ではベンダーと会話ができるオペレーター、エンジニアが必要になってくるでしょうね。
遠藤 お客様の中にはマニュアルを読まない世代が多くなっているようです。マニュアルを読まないでエラーを起こすことを防ぐために、DXを使ったトレーニングプログラムを作ってほしいという要請もあります。3DCADを利用してバーチャルなプラントを組み上げて、当社のシミュレーターを活用しながらお客様が実体験できないような非定常な状況を作り出して、疑似体験を通して安全教育を一緒にやっているケースがいくつかあります。
松尾 最近のオペレーターはマニュアルを読まないという話が出ました。若い世代はプラント建設があった時代と考え方が違ったり、受けた教育も変わっているようです。学生たちを見て、考え方や文化の変化は感じますか。
三宅 学生はエネルギーとかパワーを持っていますね。頑張りどころやツボにはまったところでパフォーマンスを発揮する一方、そうでもないところは手を抜くという訳ではないですけど、あまり深掘りしない傾向があるのかなと感じます。それが時代の変遷かどうか分からないですが。
一方、文部科学省がデータサイエンスとか数理科学を積極的に推進するため、新しい組織や新しい学部を認可していますが、必ずしも化学プラントや石油精製に興味がなくても、データサイエンスあるいはデータエンジニアリングに興味を持つ学生は増えているように思います。そうした流れでプラントに興味を持つ学生がいれば、いろんな展開が生まれてくる可能性があるでしょう。
松尾 幅広い知識に目を向ける能力を持っておくことは必要で、大学の時から企業に生かせる教育を連携して行うことも重要だと思います。今後は企業の枠を越えた教育、製造業だけではなく、システム業界と一緒に教育を考えることも可能でしょう。横河電機は三井化学と共同で技術研修センターを開放されています。研究機関、大学を含めてそうした展開はどうでしょうか。
遠藤 こうした取り組みは効果があると思います。私自身も何回か学生に授業したことがありますが、どういったビジネスをやっているか興味を持って聞いてくれるので、情報交換を含めて大学と企業が連携するのは効果があると思います。
松尾 化学工学科がほとんどなくなったことを含めて何が専門だか分からない、企業側も求める能力・技術を、大学側と議論しておくことも必要ではないでしょうか。
山本 教育に関する議論は大切ですね。ケミカルエンジニアリング、メカニカルなど要素技術があるうえで、DXなどをどう扱うのかという考え方は必要かと思います。
松尾 三宅先生は産業安全塾など業界で教育を行われています。企業の枠を越えた教育の有効性はどう考えますか。
三宅氏
三宅 産業安全塾は東京、水島、四日市で展開していますが、意識が高い人たちが会社から送り出され、濃密なディスカッションができるのは非常に良い取り組みだと感じています。産業安全塾を卒業しても、同期の人たちが横で連携して産業安全についてアップデートすることが活発に行われています。
一方、大学は基本的に座学で、実習でも現場を経験することは簡単ではありません。しかし、長期のインターンシップのような機会を作り、現場で責任感と緊張感を持ってオペレートされている人たちに触れることで、少しでも応用力を養っていける。仮にこういう現場で自分が働いた時にどういうことができるのか、何が課題になっているのかということに気づくチャンスが生まれると思います。
<人材データベース作りを 松尾>
<業界越え多様な連携必要 山本>
<データ公開しない傾向に 遠藤>
<情報活用スキーム再考へ 三宅>
松尾 人材不足あるいは資金不足は大手企業より中小企業がより大きな影響を受けています。その中で安全を維持しなければならない。中小が弱ればおそらく大手も大きな影響を受けます。産業界にとどまらず経産省を含めて一体で考えていく必要があると思います。産業界の連携についてはどうですか。
山本 スマート保安は個社では限界があることが明らかで、安全データひとつ取っても本当に正確なデータなのか等、いろいろなことをやっていかないといけない。業界として国としてどのようにやるのかがポイントになると思います。DX、AIも継続して投資する必要があり、それに対するサポートをどうするかも個社では難しいので、業界を越えて、もしくは官を含めた話になると思います。
松尾 出光興産はスマート保安官民協議会のメンバーで、国とも議論をされていますが、国の支援について意見を聞きたいと思います。
山本 無線のインフラだとかAIの開発を含めて中長期の投資は個社では限界があるので、業界として要望を出していくことを考える必要があるでしょう。スマート保安官民協議会でもドローンや画像処理など個社では難しいので、業界の枠を越えたいろいろな連携があると思います。
松尾 先ほどデータベースの共有化の話がありましたが、やっぱり各企業がデータを出したがらない。これは技術的な問題なのか。データに対する意識の問題なのか。データを国内で共有化できる可能性はあるのでしょうか。
遠藤 ベストプラクティスの共有化などは進めてほしいですが、ビッグデータ解析とかDX化が進むと、データは大事で自分たちで持つべきとなって公開しなくなります。ベンダーに対しても厳しくなっています。ただ、課題解決にはお客様と一緒にデータを見ながら議論しなければならないため、その観点でアプローチをさせていただいています。
松尾 三宅先生はいろいろな事故調査委員に関わられています。事故事例の共有化も昔から言われていますが、5W1Hが分かっても現場で生かすデータになっていない、あるいはデータを生かす人材がいないという問題があります。保安データ、事故データの利用についてどうお考えですか。
三宅 事故は起こしたくて起きたものではありません。しかし、非常に多大な代償を払って得た貴重な情報であることは間違いない。情報の公開は重要なことだと思いますが、個人情報の問題とか責任の所在とかで難しい。ただ、データベース化して教訓を得て、それを知識化して次につなげていく一連のスキームをどこまでできるか考え直すべきだと思います。
松尾 スマート保安で新しい技術が導入される中で、データを解析し、それを生かす人材は、今までの知識だけではなく、いろいろな知識を組み合わせることが必要です。そういう人材は限られていますし、日本もそういう取り組みが少ないですから、多様な分野の人たちが連携して人材データベースを作り、業界を越えて連携する必要があると思います。
三宅 人材データベースのような取り組みは細々と行われていましたが、それをうまく活用するところまで進んでなかったのが現実だと思います。個々の課題に対して、どういう人材がどのデータベースに載っているのが分かれば、グループを作ることでさらに大きな効果が得られる。データベースのバージョンアップも必要でしょう。
松尾 この課題は産官学が連携し、それを回していけるような組織が必要になっているかもしれません。今回は保安力強化に向けて、現状認識と課題、新技術導入による化学産業の将来像、人材育成、連携のあり方をテーマに意見交換をさせていただきましたが、課題が多くて、そう簡単には解決できない。もっと議論を深める必要があると感じられたと思います。今回の議論がさらなる議論展開のきっかけになればと思っています。