<PFASと報道 有識者に聞く>
日本では「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POPs条約)」で製造・輸入・使用が禁止されているペルフルオロオクタン酸(PFOA)やペルフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)などの物質が各地で検出されたことが報道されている。ただ、1万種以上あるとされる有機フッ素化合物(PFAS)がどのような物質であるかについて十分に説明されているとは言えない状況だ。薬学・毒性学の専門家で、食品安全とリスク管理の第一人者である東京大学名誉教授の唐木英明氏にPFASを巡る報道のあり方を聞く。
▼…PFASをどのような物質と捉えていますか。
「薬学と毒性学の2つの領域で長年研究活動に取り組んできた私からすると、PFASは今まで出会ったことがない非常に不思議な物質だ。1950年代から70年以上にわたり使われ、知らない間に環境に汚染が広がった。今では先進国を中心にほとんどの人の血液中にPFASが存在すると言われているが、誰も長い間汚染に気づかなかった」
「これまでの環境汚染の歴史では、ある地域で後に公害病とされるような変わった病気が多く見つかり、調べてみると環境物質が原因だったというケースが多い。しかしPFASは今まで公的に確立された因果関係に基づく健康被害がないことが大きな違いだ」
▼…一般の人はPFASは危険な物質だと思っています。
「90年代の終わりに米デュポンの工場近くの牧場主が弁護士を通じて飼育している牛の死亡原因を調べるなかで、内部文書からPFOAを環境中に排出していたことが明らかとなり、地域住民が訴訟を起こして注目された。デュポンは批判を避けるために和解したが、和解条件の一つが『C8科学委員会』の設置だった」
「同委員会はPFOAと健康被害が関連する可能性を調べることがミッションで、その可能性が50%以上あった6つの病気について、非常に曖昧な条件だったにもかかわらず、デュポンは争わず治療費や慰謝料を支払った。これによってPFASによる健康被害だとの悪評が広がる契機となった。さらに米国内での汚染が広範に及び、多くの人の血液中に存在することがわかると、国内の水道組合が大規模な訴訟を起こしてメーカーに水道の除染費用を払わせる事態になった」
「公害訴訟では『一般的相関関係』と『個別的相関関係』を2段階で証明しなければ勝てない。前者は例えば『PFOAは腎臓がんを起こしうる』と科学的に証明すること、後者は『自分が腎臓がんになったのはPFOAのせいだ』と証明することだ。C8科学委員会の対象地域とは別の地域でも訴訟が起こされたが、同委員会の決定に縛られないために一般的相関関係すら証明できず勝てていない」
▼…PFASと健康被害は直接の因果関係が証明されていないということでしょうか。
「科学的に検証すればPFASによる健康被害は何もない。内閣府の食品安全委員会が行った『PFAS評価』が典型例で、人間に対する健康被害を一切認めなかった。ただ、実験動物の体重が少し減少したことを根拠に『耐容一日摂取量(TDI)』を設定。それを基に環境省がPFOAとPFOSを水質基準の項目に追加し、合計で1リットル当たり50ナノグラム以下として、2026年4月から水質検査と基準値超過時の改善を義務化することを決めた」
「多くの人が不安を持っていることは事実。だが、環境汚染はあれど健康被害はないにもかかわらず、補償や除染する必要があるのかというのは悩ましい問題だ」
▼…メディアのPFAS報道をどのようにみていますか。
「記者に『PFAS=危険』という思い込みがあり、必ず『発がんの可能性がある』『有害と言われている』という言葉を付けてPFASを報じることが当たり前になっている。今大事なのは不安を煽るのではなく、不安を解消する報道だ」
▼…一般の人にもっとPFASへの理解を深めてもらうにはどうすればいいでしょうか。
「情報発信しかない。一般の人が誤解するのも、理解を深めるのも情報だ。今は新聞、テレビに加えネットが大きく入り込んでいる。企業や業界団体がPFASについて情報発信する際はネットをどう利用するかが重要になる。ネット上に多く蔓延するフェイクニュースにどう対応するかを本気で考えなければならない。除草剤『ラウンドアップ』の風評被害に対抗し、日々情報発信している日産化学などが1つのモデルとなる。リスクコミュニケーションでいちばん大事なのは『ターゲットオーディエンス』の設定だ」
「『誰が心配していて、その人達にどんな情報を出すべきか』という実情を把握する必要がある。どんな手段を使えば達成できるか戦略を立て、さまざまな調査や技術を駆使し組織的・段階的に進めれば、かなりの成果があげられるだろう。関係する企業や団体で意思を統一し、共通理解として取り組む必要がある」
(聞き手=山下裕之、濱田一智、石川亮)