「企業は存在する限り成長しなければならない」と話す金社長
<韓国SFC「挑戦」のDNA/上>
保土谷化学工業グループの中で近年、存在感を急速に高めているのが韓国子会社SFC(忠清北道清洲市)だ。同社を率いる金容瓘(キム・ヨングァン)社長らがスタートアップとして1998年に創業し、有機EL材料、PCR検査キット用材料をバネに成長。保土谷化学が出資した2010年からの14年間でSFCの売上高は約12倍に拡大した。技術力と開発スピード、積極果敢な投資で成長機会をつかみ取ろうとする同社に根付くのは、失敗を恐れず挑戦するマインドだ。
<始まりはわずか100坪の研究室>
ソウル近郊の京畿道始華市、その一角にあるわずか100坪(約300平方メートル)の本社兼研究室がSFCの創業地だ。名門・高麗大学で有機化学分野を専攻し大学院で博士号を取得した金社長ら2人で創業したのが27年前のことだ。
得意の合成技術が生かせる分野として、最初に目を付けたのは医薬中間体。市場は有望だったが、中印勢との激しい競争環境の中で勝てる見込みは薄いとみて1~2年ほどで見切りをつける。その頃、韓国では電子産業が飛躍の時を迎えていた。参入できる分野を調査し、韓国勢が開発に踏み出しつつあった有機ELパネル分野に照準を定める。01年に有機EL材料の研究開発に着手した。
SFCが材料開発で心がけたのはスピードだ。パネルメーカーは有機ELパネルを製品として形にするため材料メーカーとタッグを組んでより良い材料を追い求めており、創業間もないスタートアップにも門戸は開かれていた。パネルメーカーの厳しい要求に対してスピーディーな開発サイクルを回して短期間で応え、アイデアや情報もオープンに差し出す。あたかも同じ会社内であるかのような関係性の中で、SFCは確かな実力を培ってきた。「産業の黎明期という幸運も手伝い、顧客の指導を仰ぎながら共に成長することができた」と、金社長は振り返る。
05年に当時世界最高水準の青色発光材料の開発に成功。08年に現在の主要顧客であるサムスンディスプレイがSFCの青色発光材料を評価し、有機ELパネルの開発ロードマップで数年先の目標値を達成する結果が得られたのを契機として、両社の取引が始まった。
<有機EL向けの技術補完で飛躍>
SFCの技術力に着目し、保土谷化学が資本業務提携を打診したのもこの頃だ。保土谷化学は00年代初めに有機EL材料の正孔輸送材料、電子輸送キャッピング層材料の生産を開始。両社の持つ材料、技術は補完関係にあり、それらを組み合わせることで顧客提案力が高められるとみた。SFCも企業体力がある保土谷化学と組むことでスピード感を持った投資ができると判断。保土谷化学は10年にSFCの株式を取得し、翌年に連結子会社化した。
現在、青色発光材料を中心とする有機EL材料はSFCの売上高全体の約8割を稼ぐ屋台骨だ。有機ELパネル市場拡大の波に乗り、10年に126億ウォン(約13億円)だった同社の売上高は24年に1581億ウォンと約12倍に拡大した。
<PCR検査キット材料が転機に>
14年には、有機EL材料の技術が生かせる新事業として、バイオ材料分野への進出を狙い研究開発に着手する。「将来必要な技術」(金社長)という確信の下に長期視点で育成するテーマとして、がん細胞などを可視化する蛍光イメージング技術などを念頭に置いて特定のたんぱく質分解酵素の存在によって光る発光材料などの開発を進めてきた。
大きな転機になったのは20年。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を受けて、PCR検査キットに使うプローブと呼ぶ材料の引き合いが急増する。プローブは特定のDNAを検出する役割を担い、発光材料と消光材料、分子鎖(オリゴヌクレオチド)で構成される。積み重ねてきた研究開発の成果が新型コロナ禍で花開いた。
主力製品の有機EL材料に経営資源を集中させる選択肢もあったなかで、SFCは事業ポートフォリオを広げる方向に経営の舵を切った。その真意について、金社長は「企業は存在する限り成長しなければならず、現状維持では衰退を意味する。コア技術を生かし、周辺分野に商機を広げるのは自然な流れ」と言い切る。