欧州での制限案提出に揺れる有機フッ素化合物(PFAS)はこれまで、撥水・撥油などの特徴的な性質を示すメカニズムが未解明のまま、産業利用が進んできた経緯がある。こうしたなかで、PFASが示す多くの性質を統一的に説明できる「SDA(階層双極子アレー)」理論を確立したのが京都大学化学研究所の長谷川健教授だ。長谷川教授に、PFASの安全性や経済性を評価する上で不可欠な科学的アプローチの重要性を聞く。

     - 物理化学の観点からみたPFASとは。

     「PFASは、アルキル鎖の主骨格のH(水素)をF(フッ素)に置換したものが多く、従来、有機化学における炭化水素の一分野として扱われてきた。一方、撥水・撥油性を同時に示すなどさまざな特徴的性質が発現するメカニズムについては分からないままだった。このため作ってみては調べ、特徴的な物性を見出してはまた作りを繰り返してきた。しかし、SDA理論により根本的に炭化水素と異なること、より簡単なメカニズムであることが分かってきた」

     - SDA理論について教えて下さい。

     「分子には自ら集まって集合体を作る『引き合う力』があるが、炭化水素とPFASではその引き合う力がまったく別の種類のものだ。またPFASには炭化水素にないねじれ構造があり、これも自己集合に大きく影響する。PFASは自己集合すると水も油も弾く特徴的な性質が現れるが、一分子のままだと水分子を逆に引き付けてしまう。分子の集合による極端な物性の変化は炭化水素ではあまりみられない」

     「PFASが自己集合を引き起こすには最低でも炭素数8(C8)が必要なことも分かった。つまり、C8以下では一分子の性質がそのまま維持されるケースが多いということだ。PFASは体内に蓄積するといわれるが、集合した分子は撥水性のため相互作用はなく、毒性も発現しない可能性がある。ただ、生体内でのたんぱく質や水分が自己集合に与える影響は未解明で今後研究が必要だ」

     - 一般的にPFASは難分解と言われます。

     「分解には2つの意味がある。まず化合物として鎖のどこかが切れる『分解』だが、PFASは非常に安定な化合物のため簡単には切れない。もう一つが集合系をほぐす『分解』で、PFASも一度集まると容易にはほぐせない。だがSDA理論を基にして最初からほぐしやすい構造も設計できる」

     - 欧州でPFAS制限案が提出されました。

     「PFASを一括で規制することの影響は非常に大きい。例えば環境や健康を守るのに役立つ燃料電池の電解質膜に使われるナフィオンもPFASの一つ。半導体関連も製造プロセスにPFASが広く使われている。これらが制限されれば研究開発が止まり、生産が難しくなるだろう」

     「制限案の対象に安全上問題のある物質がどの程度含まれているかわからないが、C8を境に物性が変わる。とくに1分子で挙動する物質をしっかり研究する必要がある」

     - 政策的あるいは国際的な議論でSDA理論は考慮されていますか。

     「私たちのSDA理論に関する最初の論文発表が2014年、検証実験を積み重ね総説を確立したのが17年で、これまで一部のメーカーが知るのみだった。しかし昨年以降、日本の政府関係者にも知られるようになり、現在は内閣府レベルで把握されるようになった。一方、海外ではまだ話題になり始めた程度だ」

     <環境に向けた英知の出し方工夫>

     - 持続可能なPFASの実現に何が必要ですか。

     「撥水・撥油性を同時に発現する物質は、元素周期表で最も右上の『F』以外にない。PFASは自然界に存在しない100%人工物で、人類の『英知の結晶』ともいえる。だが、今まではその英知が産業のみに向けられ、環境に向けては英知が出せていなかった。アカデミアの立場としては知恵の出し方を工夫し、環境や人体に害のない物質で環境と産業の両方が守られる持続可能な状態を目指さねばならないと考えている」

     「一分子と集合系を区切る鎖長などいくつかの視点でPFAS全体を整理した上で、実際に検証し危険性の有無、危険性が高い領域、低い領域などを明確にする必要がある。そして濃度などで安全上問題がない境界線を示し、実用的なものを判別する。これを基に有機合成化学の研究が進めば環境負荷も毒性も低い安全な物質に向かわせることができる」

     「行政の取り組みも急がれるが、内閣府食品安全委員会のPFASワーキンググループが5月に公開した資料で『SDA理論を用いて議論すべき』との一言が盛り込まれたことはその第一歩。海外でSDA理論が政策的な議論に取り入れられるには時間を要すため、学術的組織とのつながりを広げることも重要だ」

     <相互作用に関する理解が重要に>

     - 今後の研究開発の方向性は。

     「SDA理論は、PFAS単独の性質を理解する目的ではうまく推移している。今後はPFASと他の化合物との相互作用に関する理解が重要となる。例えば毒性については、PFASがたんぱく質のどの部分と相互作用し、どの臓器に運ばれるかを調べることも次のステップだ。これによりPFASに関する毒性学が根本的に進化し、分子レベルでの研究が進む可能性もあると期待している」(聞き手=山下裕之)
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