• あいさつする三井化学の淡輪会長
      あいさつする三井化学の淡輪会長
     <IJPC最後の集い/上 >

     10月14日、都内で14回目となる「IJPCの集い」が開かれた。イラン初の大規模石油化学コンプレックスを建設する日本とイランの共同事業に携わった当時の各出資企業の担当者・出向者らが親交を温めた。プロジェクトは建設予算の大幅な増額やイラン革命、イラン・イラク戦争といった逆境下で事業性が覆され、未完に終わった。巨額を投じた出資企業にとっては大きな打撃となり、カントリーリスクに対応する難しさなど教訓も残した。イランに赴いた同会の面々はプロジェクトの最前線に立ち、急激な情勢変化に直面したが、その共通の記憶がこの集いを40年を超えて繋いだ。

     4年に1度開かれてきた集いは最年少メンバーでも72歳を超え高齢化が進み、この日が最後の開催になるという。それもあって、この日は前駐イラン大使や親会社、当時の現地スタッフからゲストを招き、80人余りの盛大な雰囲気で催された。

     イラン国営石油化学会社(NPC)と日本法人の海外投資会社であるイラン化学開発(ICDC)の折半出資で1973年4月に設立されたのがイラン・日本ペトロケミカル、略称IJPCだ。ペルシャ湾岸のバンダルシャプールに石油随伴ガスを原料とするイラン初の総合石化コンプレックスを建設しようとするもので、近代的な化学産業を興したいイランが日本に技術移転を働きかけ、71年10月にIJPCにつながる合弁基本契約が三井物産とNPCとの間で結ばれた。

     ゲストに招かれた三井化学の淡輪敏会長はIJPC出資企業であった旧三井東圧化学へ入社した際、実現しなかったものの「IJPC要員として赴任すると想定していた」という。出資企業はもちろん、政府や財界の注目と期待を集めていたプロジェクトだったが、18年後の89年10月に合弁解消の合意が交わされ、完成を見ずに終わった。

     この間、石油危機によって72年時点で1500億円未満だった建設予算は石油危機で7500億円に膨れ上がり、78年のイラン革命、80年に勃発したイラン・イラク戦争で情勢が急激に悪化。ICDCの主要株主だった三井物産、三井東圧化学、三井石油化学工業(現三井化学)、東洋曹達工業(現東ソー)、日本合成ゴム(現JSR)などから、現地に赴いたこの会の面々はこうした情勢変化に振り回された。

    • 会の終盤にはマシャール音頭を合唱
      会の終盤にはマシャール音頭を合唱
     72年に赴き、総務・人事担当として技術者の採用、日本への研修派遣を担当した同会の開催実行委員長である石和田四郎さん(元三井東圧化学)は一方で「このプロジェクトに情熱をぶつけた。革命の雰囲気を感じつつも、覚えているのは良かった話ばかり」と振り返る。当時、サイトキャンプでの食事は三食とも日本食。駐在員自らが作詞作曲し、この日の集いにも歌われた「マシャール音頭」には「つらいですかと聞かれたら、世界に誇るプロジェクト、明日の日本を背負う仕事、やりがいあるよと答えます」との一節がある。当時、新婚で数少ない家族帯同者としてコーラムシャーのIJPC社宅に暮らした安部久雄さん(元東ソー)。チグリス・ユーフラテス川沿いにある美しい古都の街並みを思い浮かべた。
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