• BIPCとして稼働する現在のプラント
      BIPCとして稼働する現在のプラント
     <IJPC最後の集い/下>

     イラン革命最中の1979年8月に日本合成ゴム(現JSR)から赴任した橋本卓さんの見たコーラムシャーの印象は正反対に、多くの戦車や装甲車が走る風景だった。前年末から在留外国人のイラン退去が始まるなか、79年2月には工事中断が決断され、3月に約3000人の日本人が日本航空の特別便4機で帰国。バンダルシャプールのサイトから100キロメートル圏内にあるアバダン空港に飛行機は降りず、600キロメートル以上離れたテヘラン空港へバス移動を余儀なくされた。

     調達を担当していた古家秀紀さん(元三井物産)によると、完成したプラントの防腐処理を建設業者に依頼したという。イラン側の強い事業継続要望もあり、再開を見据えた一度目のシャットダウンだった。

     川島秀克さん(元三井東圧化学)はイラン・イラク戦争で爆撃に遭遇した。戦況が落ち着いた83年、事業再開調査のため2度目のサイト訪問となった時のこと。「通常は事前に噂が流れ、その日は外出しないが、3回目(84年9月)の爆撃はそれがまったくなかった」。事務所に戻った直後で「少し遅れれば直撃、早くて机に座っていたら爆風で崩れた天井や壁の下敷きになっていたかもしれない」と恐怖の記憶を生々しく語った。サイトの被爆はその後、88年まで20回に及ぶ。日・イ共同の現場被害調査を経て90年2月に合弁事業解消合意書が発効した。

     事業再開準備担当だった斎藤健一さん(元三井石油化学)は、今もイランの石化プロジェクトを支援する事業に従事しており、現在も同国唯一の総合石化プラントのバンダル・イマームペトロケミカル(BIPC)として稼働する様子を知る。90年代初めに完成し、エチレン年41万トン、高密度ポリエチレン15万トン、低密度ポリエチレン10万トンのほか、ポリプロピレン、ベンゼン、パラキシレン、スチレン・ブタジエンゴム、塩ビモノマー、塩化ビニル樹脂、カ性ソーダを製造。新規増設計画もあり、順次建設している。

     最古参メンバーの一人である石和田四郎さん(元三井東圧化学)は2007年にBIPCを訪問。隆々と稼働するプラントを目にし「失敗した痛手はあったが、技術の移転には成功したと感じた」と振り返った。実際、BIPCのことを現地の人はいまだに「イランジャポン」と呼ぶなど、日本への親近感は根強く残る。73年にイラン・日本ペトロケミカル(IJPC)に転職し、石和田氏の下でイラン人スタッフへの日本語教育や支援を担当したアリ・モアゼニさんは、イラン独資となったBIPCの建設に関わり続けただけでなく、日本国籍を取得して帰化するなど、IJPCをきっかけに日本との関わりを持ち続けている。この集い自体もおよそ40年にわたり続いてきたもの。中締めのあいさつを任されたモアゼニさんは「完成を見届けることなくサイトを後にしたわれわれの未練が、長く続く絆の理由だったのだろう」と締め括った。(石川亮)
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